中国SFもいいぞ!
手のなかにはなにもなかった。一粒の砂もない。
―陳楸帆『麗江の魚』より
『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』ケン・リュウ編,2019,ハヤカワ文庫
を読んだので、それについてつらつらと。
自由感想
いわゆる「中国SF」は読みやすい。そして、面白い。
現代中国アンソロジーとして刊行された本作であるが、読了後の感想はこれに尽きる。
編者であるケン・リュウ氏が序文で述べているように、収録されている作品群から「これが中国のSFなのだ」と考えるのは無理がある。人口や領土は広大であり、(政府の方策はあるとしても)主義信条、文化や思考などが多岐にわたることは想像に難くない。
「中国SF」と一括りにしてしまうのはもったいないほど重厚で多様性に富み、いわゆる「Made in China」というバイアスは捨てなくてはならないだろう。自信をもってお勧めする。
さて、ひとまず収録作家・収録作から先に一覧を載せておく。
-
陳楸帆(チェン・チウファン)『鼠年』『麗江(リージャン)の魚』『沙嘴(シャーズイ)の花』
- 夏笳(シア・ジア)『百鬼夜行街』『童童(トントン)の夏』『龍馬夜行』
- 馬伯庸(マー・ボーヨン)『沈黙都市』
- 郝景芳(ハオ・ジンファン)『見えない惑星』『折りたたみ北京』
- 糖匪(タン・フェイ)『コールガール』
- 程婧波(チョン・ジンボー)『蛍火の墓』
-
劉慈欣(リウ・ツーシン)『円』『神様の介護係』
このうち『麗江の魚』『沈黙都市』『円』の3作を推していこうと思う。
麗江の魚 - 陳楸帆
前の記事で「時間」をテーマにしたアンソロジーを紹介したが、本作も時間をテーマにしている。
舞台は雲南省麗江市、1人でいる女性に片っ端から声をかけていたあの頃とは裏腹に、無機質なオフィスで仕事に疲弊していた。
今は病人のリハビリとしてこの地を訪れた「僕」は、ある女性に一目惚れし──
といった感じの話
Googleで麗江古城と検索すると、石畳と水路で縦横に区分けされ、赤銅色に彩られた美しい旧市街が見られる。
都市での生活で摩耗した主人公の視点から、古き良き過去が語られている。麗江の街並みは変わらずとも、どうしてもあの頃へは戻れないというノスタルジアが刺さる。無論、変わっているのは主人公だけではないのは言うまでもない。
「何もない」「空っぽ」と繰り返しつつも、どこか諦念して薄く笑う主人公が痛々しい(が、それが良い)。
現代社会で時間に追われながらあくせく働く日々に、決して巻き戻せない過去がオーバーラップする雰囲気に魅了された。おすすめである。
沈黙都市 - 馬伯庸
大気は汚染され、飲み物は蒸留水のみ。Webは特定のサイトしか繋がらず、「健全語リスト」によって発言できる単語が制限された世界―
本作はそんなディストピアを描いた物語である。小さな世界に押し込まれた登場人物たちが自由を渇望して努力を重ね、皮肉にもその努力によって真綿で首を締めるように行動が制限されていく様子を描いている。作中で引用されている通り、ジョージ・オーウェル『1984』に対する強烈なアンサーソングである。
こうした本作の内容に加えて、中国の作家によって著されているという背景から、「西側諸国」の人間からすれば明らかな中国共産党へのアンチテーゼと解釈してもおかしくないだろう。しかしそれは、編者ケン・リュウ曰く「中国の作家の政治的関心が西側の読者の期待するものと同じだと想像するのは、よく言って傲慢であり、悪く言えば危険」なのである。この点については、私も同意する。
こうした抑圧的な統治機関が現れる可能性は世界のどこにでもありうるのであり、そうした可能性に対して著者が豊かな想像力を働かせた結果だと捉えるくらいがちょうどよいだろう。もちろん、出版物についてプロパガンダ的な意味合いを持たせた例は枚挙にいとまがないが、殊に本作についてそのような解釈をするのは視野が狭い。
だって、それじゃあ面白くないじゃない。思考の幅を狭めないで、無限遠にまで想像を持っていくのがSFの醍醐味だと思うから。オススメである。
ただ細かいことを一つだけ言わせてもらうとすれば、バイナリ値を中立だとする比喩に対して「優秀なプログラマーだ!」と評するくだりはちょっと解せぬ。仮に比喩が秀逸だとしても、それがプログラマーとしての(ry
円 - 劉慈欣
最後に紹介するのは『三体』でも有名な劉慈欣の作品だ。本作はその『三体』の一節を抜粋したものだとのこと。とはいえ、これ単体で十分楽しめる作品になっている。当初独立した短編だと錯覚したほどだ。
時は遡るほど2000年強の中国戦国時代、政王(後の始皇帝)が不老不死を求めていた逸話は有名である。その一つとして、かつての燕王の刺客、荊軻が部下となり、円周率の計算を行うことになって―
といった感じの話
いやもう、この設定からして面白いことが伝わってきてしまう。政王が不老不死に近づくために、円周率の桁を少しでも多く求めるという......それも首がリアルに飛ぶか飛ばざるや、家臣が命を賭して全力投球している様子がコントのようである。挙句の果てに旗信号による「人間NANDゲート」たるものが出現して、疑似的に計算機をシミュレーションし始めるという奇想天外な展開に思わずニヤニヤしてしまった。オーバーテクノロジーのようで、できなくもないように思わせてしまうところがまた面白い。
ネタバレになってしまうので書けないが、この円周率計算の結末もまた「ありそうでない」ギリギリを攻めているような感覚を持たせてくれる。「歴史上そんなことがあったかもしれないな」と思わせる著者の想像力に度肝を抜かれた。
情報技術や電子回路設計設計等で論理演算を少しでもかじったことのある方なら、間違いなくクスっと笑えるオススメの作品である。
5段階評価
★★★★☆ 4.5 (もっと早く読めば良かった......)
なぜその本を読み始めたか
「中国の作家によるSF」と謳っていて、味変を楽しめそうだったから。
「推し」とその理由
ITやマイコンを取り扱っているので、『円』の論理回路の件は推せる
面白いor参考になる語彙・表現・構成
主観だが、これまで読んだ西欧圏の言語の邦訳と比較して、中国語の邦訳の方が読みやすいように感じた。訳者が優秀な方というのはもちろんあると思うし、構文が似ているから自然に読めるというのもあるのかもしれない。
読了年月日
2022/10/03
繰り返したり、止まったり、巻き戻ったり、進んだり?
自分がひとに深切を施すのは、たいへんの美徳で、そうして内心いささか報恩などを期待しているくせに、ひとの深切には、いやもうひどい警戒で、あいつと対等の附合いになってはかなわぬなどとかんがえているんだから、げっそりしますよ。
―太宰治『浦島さん』より
『不思議の扉 時をかける恋』大森望編,2010,角川文庫
を読んだので、それについてつらつらと。
※この記事は書籍をオススメするという目的のため、内容に関して若干のネタバレ要素を含みます。とはいえ「○○の正体は△△」であるとか、「◇◇はこの後タヒぬ」といった類のネタバレは含みません。「絶対に前情報なしで楽しみたい!」という方でなければ大丈夫だと思います。多分
自由感想
「あの頃、あの時をもう一度やり直せたら──」「10年後の私はどうなっているだろうか──」「歳を取らなかったら──」
時に関するヒトの願いはいつの時代も不変である。ドラえもんにシュタゲ、時をかける少女などなど、創作もまた思いに呼応するような名作が多い。
今回読んだのもまた、時の物語である。
殊にSFで時間を扱うのは、科学的空想と結びつきやすいこともあり、「お家芸」感がある。スパイスのようにピリッとアクセントを効かせたものもあれば、考察を綿密に重ねたハードなものまで幅広い。いわばSFのホームフィールドなのだ。
その上で、今回読んだ『不思議の扉 時をかける恋』は、その名の通り恋を掛け算した短編が収められている。
…そんなん面白いに決まってるじゃん
ええ、そうです。
面白いです。間違いなく。
本作は書評家として著名な大森望氏が編纂したアンソロジーである。その点でも、ハズレがないことは想像に難くない。
さて、収録されている作品は以下の通り。
このうち、恩田陸『エアハート嬢の到着』に関しては、同著者『ライオンハート』からの抜粋になっている。読んでみて、続きや経緯が気になった方は読んでみてはどうか。
冗談抜きで今回は全部を紹介したいし、おすすめしたいのだが、断腸の思いで特に印象的だった『Calling You』『眠り姫』『浦島さん』の3編を紹介する。
Calling You - 乙一
全6篇のなかで一番、純度120%の秀作だ。
小説にどっぷりと浸かっている方には新鮮味に欠けるかもしれないし、後の展開は予想できてしまうかもしれない。それを踏まえた上でも「頭の中のケータイ」というモチーフ、切ない後味は一点の曇りもない魅力がある。
主人公のリョウは携帯電話を持たない女子高生。教室の「みんな」と仲良くできず、昼休みはよく図書室へ行って時間をつぶす。そして、理想の携帯電話を思い描く。形、色、触感、着信音......想像でもそこにあるかのように。
そしてある日、私の脳内で着信音が鳴った―
という感じの話
「時間要素どこ?」という質問が聞こえてきそうだが、大丈夫、ちゃんと物語の核になっている。脳内の電話は時間を隔てた相手ともつながるのだ。
さて、リョウの脳内へ電話をかけた相手はだれなのか、そして「いつ」とつながるのか―続きはぜひ、その目で確かめてほしい。
切なさ全開の青春ストーリーが好きな方なら、絶対にハマるはずだ。
眠り姫 - 貴子潤一郎
『Calling You』が良いと思ったそこのアナタ、朗報です。
次に紹介する本作も、余韻を味わうことができる。ひょっとすると『不思議の扉~』は一日で読み通すのではなく、一篇ずつ味わうような楽しみ方がしっくりくるかもしれない。
さて、時間を題材にしようとすると、多くあるパターンとしてはタイムスリップが挙げられる。主人公が過去や未来へ飛んだり、過去や未来を見てしまったり。あるいは、収録作『エアハート嬢の到着』のように別の誰かが時を超えてくることもある。
しかし、本作は違う時間の捉え方を魅せてくれる。それは、止まってしまった時間である。
文武両道で魅力的な彼女の唯一の欠点は、「眠り」だった。授業中でも構わずに寝てしまう彼女についたあだ名は「眠り姫」、クラスの笑いものにされ、そんな彼女を私もからかっていた。おしゃべりをして、一緒の帰り道で、自然と私たちは惹かれあった。
彼女の眠り癖は一向に治らない、ホントにしょうがないやつだなと、私は思っていたが―
といった感じの話
こちらも切ない系統のラブストーリーだと言える。当たり前だが、テレパスでもない限り眠っている人間とコミュニケーションをとることはできない。これを時間が(実質的に)停止しているものとみなした。このアイデアは(『美亜へ贈る真珠』含め)斬新に映った。
この『眠り姫』は、トリックやオチがどうのというより、クライマックスへ向けて読者を掴んで離さないパワーを感じる。オススメ
浦島さん - 太宰治
最後に紹介するのは太宰の逸品
『不思議の扉~』の6篇の中では、変化球に値するものだ。特に時をかけてラブストーリーが進展するお話ではない。切ないとか、胸が締め付けられることもない。
タイトルの通り、おとぎ話『浦島太郎』のパロディーだ。玉手箱を開けておじいさんになってしまう浦島太郎に新しい解釈を加えている。その点、確かに時は扱った作品だといえる。
本作の魅力は、新解釈はもちろん、浦島と亀との夫婦漫才のような掛け合いにあることは間違い。
しかし私は「二の腕をそぎ落とされるような気味悪さ」こそ、この作品の魅力なのではないかと思う。ヒトがひた隠したい弱い部分をつまびらかにして、もてあそんで、じくじくと弄ぶような表現である。この記事の冒頭で引用した文章もその一端で、太宰の圧倒的な語彙力で黒歴史を暴露されたような羞恥心にかられる。
文豪と言えば太宰、太宰と言えば文豪だと、ロクに文芸を知らない私でも納得してしまう文章力がある。言われたいことや言われたくないことを的確に理解して、正確に表現するだけの筆力があるのだと、ただただ圧倒されるばかりだった。
想像力に富んだ竜宮の描写も含めて、純粋に読み物として面白いので、オススメしたい。
5段階評価
★★★★★ 5 (好き!!)
なぜその本を読み始めたか
伴名練編『日本SFの臨界点[恋愛編]』の巻末読書ガイドにおいて、推薦されていた書籍であったから(時間要素に絞られてはいるものの、確かに『日本SFの臨界点[恋愛編]』より癖が少なめで読みやすい作品が多い印象)
全年齢、全世代におススメできるのは『不思議の扉~』の方だろう
「推し」とその理由
『浦島さん』の亀
彼(彼女?)の毒舌っぷりは痺れるわ
面白いor参考になる語彙・表現・構成
時は進むものであって、巻き戻すことに意識が行きがちだが、「止める」という観点はなかった。
読了年月日
2022/9/4
(紹介したい書籍のストックがまだまだあるのに、時間が足りない)
『機巧のイヴ』で、もう一つの「時代」を見る
―瑪瑙のような暗緑色の輝きを持つ瞳が、真っ直ぐ久蔵を見つめる。
を読んだので、それについてつらつらと。
自由感想
SF×○○の第二弾ということで、今回はSF×時代小説として乾緑郎著『機巧のイヴ』である。有名どころで言えば、村上もとか『仁』くらいしかSF要素を感じる時代作品は知らないもので、かなり新鮮に感じた。
(※この後もAmazonリンクべちべち貼り付けているが、アフィリエイトリンクでもなんでもない)
機巧人形(オートマタ)と称されるカラクリ仕掛けの動物・人間を、違和感なく創りあげる神業を持った技師「釘宮久蔵」と、その傍に仕える機巧人形「伊武」がこの物語の中心である。(後述の経緯で、途中から「田坂甚内」という公儀隠密も主人公クラスのキャラクターとして登場する)
現在の技術でも実現不可能なオーバーテクノロジーと江戸の雰囲気とが、まさに時代錯誤なく違和感なく融合している点が魅力の一つであることは間違いない。先に言ってしまうと、本作の章立てのうち表題とも重なる第一章『機巧のイヴ』は、もともとそれ単体の短編として仕立てられた経緯があるから、雰囲気を感じたい人は先に第一章だけでも読んでみることをオススメする。
「江川仁左衛門という武士が、懇意にしている遊女の機巧人形、つまりはコピーを創るよう釘宮久蔵に依頼して......」といった感じの導入だ。こちらは短編として完成されていて、第一章だけを楽しむという贅沢な読み方も全然できる。私は結末に驚いた。
これで雰囲気が自分の好みに合っていると感じたらどんどん先を読み進めれば良いし、第一章を読んでまだ決めきれない......という人は第二章『箱の中のヘラクレス』も読んでみるとよい。第一章に引き続き、こちらもメインキャラクターとは異なるキャラクターが主役を張る独立した作品になっている。
「青年、天徳鯨右衛門は実の両親をあまり知らない。育て親が営む湯屋で働き恩を返しつつ、相撲の稽古もする巨漢だ。育て親への感謝と同様に、彼は当麻蹴速を尊敬している力士であった。しかし、ある日舞い込んだ勧進相撲の場で、彼はやくざ者から八百長の依頼を受けて......」といった感じの導入である。主人公が相撲取りというのはなかなか斬新だ。ちなみに、この『箱の中のヘラクレス』はSF要素は薄め。
これら冒頭2章はしっかり中盤・終盤に関わってくるのでそこがまた面白い。まさに機巧人形のように、緻密に組み合わさった短編(モジュール)の綾なすリアリティを感じてほしい。
さて、本作の魅力を2点に絞って書きたいと思う。
- 機巧人形の謎
- 機巧人形の心
まず、機巧人形の謎について。これが本作の(表の)主題だ。
冒頭でも記した通り、現在の技術をもってしても実現不可能なアンドロイドが、江戸時代に近い時代背景でなぜ存在しているのか?この謎が終盤大いに読者の興味を引くことだろう。
ドラえもんの秘密道具のように、ただそこに便利なものがあるという状況では、本作の場合リアリティに欠ける。オーバーテクノロジーがもたらす現象ではなく、オーバーテクノロジーの存在そのものに意味を見出している節があるためだ。言い換えると「伊武、お前はどんなことができるのか」ではなく「伊武、お前は一体何なんだ」ということだ。
フィクションでありながら、いかにして尤もらしい理由にたどり着くのだろうか。少し内容に触れるだけでもネタバレを誘発してしまいそうなので、ここらで控える。
ただ、実を言うと、本作ではこの謎は完全には明かされない。(このくらいの情報なら、良いよね)
続編が存在する。『新世界覚醒篇』と『帝都浪漫篇』だ。
上記の問いに対する乾緑郎氏の回答は、この続編で確かめるべし。私も早く読みたい。時間が足りない。
続いて2点目の魅力、それは機巧人形の心に関する問いかけである。
これは長谷敏司『BEATLESS』のテーマと共通するものがある。
ざっくり言うと「機械に心はあるのか?」というものだ。時代を超えて何度も問いかけられたものだろう。機巧人形を扱う以上、本作でもそれは問われている。こちらは(裏の)主題だろう。
『BEATLESS』のレイシアのように、伊武も外見は人間と寸分たがわぬものとして描かれている。その上、外見は整い、振る舞いは人間のそれよりも精緻なものなのだ。
本作に登場する機巧師(技師)釘宮久蔵や、その師匠である比嘉恵庵も、機巧人形に対して単なる知的好奇心や愛着以上の感情を抱いている。機械に原初の「人間」と同じ名前をつけていることは最たる例だろう。
半ば狂気的な感情が行動からにじみ出るその様は、まさに彼らが機巧人形に心を映しこんでいる傍証にならないだろうか。
本作を読んだ方は伊武に心があると思うだろうか?
この問いは作品それぞれの結末とは異なって、ただ一つの答えが存在しないという点がミソだろう。作品それぞれに応じて、「今、心を感じた」とか「これは人間らしくない。心がない」とか考えるのが楽しい。
ちなみに私は伊武に心はあると感じた。だって腰かけのくだりが可愛いから
ヒトも緻密に組み合わさったナノシステムの集合体だと考えれば、それらが抵抗やコンデンサ、センサ、アクチュエータ等に置き換わった機械も、同様だと考えてしかるべきだと思う。人間も演算装置の一つなのである。ただ機構を総覧できていないがために、マクロにとらえるしかなく不安定に見えるだけで、その理解できない事象に「心」と理由付けしているに過ぎない。
まあ、「なんでだろうなー」と自他の心を推し量っている方が面白い。心を無くしたら全ての情動に確固たる背景が生じてしまいそうで、ちょっと息苦しい。
あとどのくらい経てば、ロボットの行動が人の手に余るようになるだろうか。そこに心を感じたい。
5段階評価
★★★★ 4 (良き!!)
なぜその本を読み始めたか
大森望著『21世紀SF1000 PART2』で推薦されていたから。
「推し」とその理由
釘宮久蔵
→もちろん魅力的なキャラクターとして伊武も推せるが、本作の主役は何といっても彼だろう。ネタバレになってしまうのであまり多くは語れないが、機巧人形に対する思い入れや、師匠への忠義は胸を打つものがある。職人気質っていいよね。
面白いor参考になる語彙・表現・構成
いくつかある章立てのうち、表題と同じく最初の「機巧のイヴ」に関してはもともと短編として出されたものらしい。一度完成した短編につぎ足すようにして長編を編み上げる著者の技量に感服する。
読了年月日
2022/8/21
あ(だちとしまむ)ら^~
「私の頭を、撫でてみてくれない?」
そう言って、垂れた頭をしまむらの方に向けた。
上記3巻について読んだので、つらつらと。
自由感想
前々回の記事で、SFと百合を題材にしたアンソロジーを紹介した。
これを機に百合小説へのモチベーションがにわかに再燃した私は、何気なく開いた以下のページである文言を目にした。
それは、
「あ(だちとしまむ)ら^~」
である。
字面はもとより、何となく言葉の響きが面白いので調べてみると、このタイトルのライトノベルがあるらしい。それが『安達としまむら』である。
さっそく近所の古書店へ駆け込んだ私は、既刊10巻(2022年8月時点)のうちとりあえず3巻を手に取りレジへと向かった。
期せずして、ちょうど3巻までで登場人物の高校1年生にかけてのエピソードが描かれていたので、感想をまとめておこうと書き始めたのが本記事である。
本作のメインキャラクターは「安達」と「しまむら」な訳であるが、しょっぱなから大層素行が悪い。素行が悪いと言っても、盗んだバイクを乗り回してガラス窓を叩き割るようなワルさではなく、頽廃的というか、無気力さを感じるようなものなのである。学校には来るくせに、授業には一切出ない。校内の人気のない場所で、学生の笑い声を時折聞きながら、昼休みのチャイムをぼーっと待つ日々......
そんな二人は体育館の2階(というより大きなロフトのような?)、卓球台が並ぶ埃混じりの場所で偶然出会う。
授業に出る気力はない。かといって家にずっといるのも窮屈だ......そんな退屈している二人が何気なく卓球に興じるうち、次第に距離は縮まって......(?)
といった感じのストーリー
本作の魅力は様々あるが、その中でも印象に残ったのが次の3つ
第一に、しまむらの諦観である。今のところ、しまむらは別に人生二周目だとか、ご老体が転生したとかそういったものではない。髪色が黒でないことを含めても、外見だけ見ればよくある女子高生だろう。
しかし、彼女は静かにズレている。自身の行く末に不安を感じ、過去のあれこれに冷めた視線を送り、オトナに反抗する。中高生特有の不安定な心理状態の中にあるからか、(この後述べる)安達の言動あれこれに対する許容範囲がガバガバすぎる。安達の熱量にただ流されているだけかもしれんけど。
周りの人間との関係性に「~かなぁ。」「~だよねえ。」とまったり深い思考へ至るのに、安達の気持ちには非常に鈍感で、何だかんだ安達のおかしな希望には応えていて......ありがちな女子高生に見えて何かがズレている。「いやいや、安達のそのリクエストに応えるんかい!」と思うこともしばしば。何かがおかしい。いろいろ考えながらも結局流される、この脱力感が彼女の魅力なのかもしれない。
そして第二に、安達の妄想の暴走である。いや、もはや妄想では収まらず実際に暴走している。心にゆとりなどあったものではない。年がら年中しまむらのことしか考えていない。しまむらと手を握りたい、しまむらに褒められたい、しまむらがいるなら遊ぶ、しまむら、しまむら、しまむら.......
しまむらが他の女子と並んで歩いているだけで精神が不安定になるヤンデレ依存ぶりである。明らかに彼女には人間が「しまむら」か「それ以外」かに分かれている。
こうしてみると安達の方が圧倒的に尖っているように見える。いや、実際に言動が尖っているのはそうなんだが、しまむらのような斜に構えた感じがない分、まともに見えてしまう不思議だ。ピュアな上に思考がしまむら一色だから、ふと見せるしまむらの言動に過敏に反応する様子が可愛らしい。
最後に、安達としまむらの気まずい距離感が魅力の一つである。百合というと「キャッキャウフフ」しているパターンもあるが、この二人はまるで逆である。はやくくっついてくれ。
静かにズレるしまむらも、熱く暴れる安達も、深層心理ではまだ「私たちは同性同士だし......」という思いが巡っていて、互いに距離感をつかみかねている。そのぎこちなさが歯がゆく、読者は一種の”おあずけ”状態になることで、時たま訪れる、あ(だちとしまむ)ら^~な展開に悶えることができるんだと思う。
特にネタバレになるわけではないので具体的な内容に少し触れると、安達としまむらがカラオケのデュエットに、スピッツの『ロビンソン』を選んだことは印象的だった。歌詞に関係性がマッチしているかと言われればそうでもない、しかし勘違いからは程遠い。この絶妙な二人の距離感が本作のコアなのだ。
5段階評価
★★★★ 4 (良き!!)
なぜその本を読み始めたか
そこに「あ(だちとしまむ)ら^~」という文言があったから
「推し」とその理由
あ(だちとしまむ)ら^~
面白いor参考になる語彙・表現・構成
「あ(だちとしまむ)ら^~」
読了年月日
2022/8/14
SFが紡ぐ愛の多様体
きみのあくびが、はやく見たい。
―中井紀夫『死んだ恋人からの手紙』より
『日本SFの臨界点[恋愛篇] 死んだ恋人からの手紙』伴名練編,2020,ハヤカワ文庫
を読んだので、それについてつらつらと。
自由感想
本作は『なめらかな~』でお馴染みの伴名練氏が編纂したSFアンソロジーである。
「恋愛」と銘打っているように、内容としては「愛」とか「恋」とか、そういったものがテーマになっている短編が多く収録されている。
ただ、序文及びあとがきで編者が述べているように、いわゆる「恋愛小説」だけを選び取ったわけではない。「愛」には「家族愛」も「同性愛」も様々あるのである(和田毅『生まれくる者、死にゆく者』、扇智史『アトラクタの奏でる音楽』)。
さらに、円城塔『ムーンシャイン』に至っては愛の形が難解である。編者は「数との恋愛だと思って」選出したそうだが、私には恋愛要素はおろか内容がさっぱり分からなかった。まだまだ私の鍛錬が足りんな。
参考までに、著者とタイトルの一覧を以下に示す。過去未収録の作品が多いため、自身の好きな作家があればつまみ食いするのも良いだろう。
- 中井紀夫『死んだ恋人からの手紙』(表題作)
- 藤田雅矢『奇跡の石』
- 和田毅『生まれくる者、死にゆく者』
- 大樹連司『戯画・セカイ系』
- 高野史緒『G線上のアリア』
- 扇智史『アトラクタの奏でる音楽』
- 小田雅久仁『人生、信号待ち』
- 円城塔『ムーンシャイン』
- 新城カズマ『月を買った御婦人』
以上9作のなかで、私の印象に残った『死んだ恋人からの手紙』『戯画・セカイ系』『人生、信号待ち』の3作について感想を述べる。
中井紀夫『死んだ恋人からの手紙』
本アンソロジーの表題作である。
「あくび金魚姫」と呼ばれる彼女のもとに、戦地に赴く彼からの手紙が届くストーリーだ。現代文の試験でも使用されたことがあるらしい。作問者は変態(褒めてます)
「タイトルでネタバレしてるじゃねえか!!」と言われればその通りなのだが、この短編の魅力はオチが分かっていたとしても減るものではない。むしろ、結末が分かっているからこそ感じられる悲壮感が魅力と言っても過言ではない。
(某傑作アニメの次回予告をふと思い出してしまった。ただ、あちらは結局キャラクターが死亡していないので、若干異なるか)
ストーリーの骨子はいたってシンプルだ。手記や手紙の形式で物語が進行するのはよくあることで、さらに恋文となると大量の作品が今日まで創られてきたことだろう。だた、本作は1989年初出であり、当時としては擦られていないアイデアだと思う。発表時期を抜きにしても、独特な良さが本作にはある。良いものはいつになっても、いつまでたっても良いのである。
本作のメインテーマである愛の不偏性は、「戦死」「(亜空間通信による)手紙」「高次元宇宙の仮説」等によって際立っている。
戦争で人が死ぬと、確かにその人そのものの存在はこの世から消え失せてしまう。一方で、過去に撮った写真は紛れもない「その人」として残る。もちろん、残された人の心にも。
また、亜空間通信という技術の仕様によって、手紙の届く順番はバラバラだ。しかし、TT(差出人・恋人)による金魚姫へのメッセージが変わることはない。サスペンス性を加えて物語を面白くする仕掛け以上に、重要な意味合いを持っている。
そして極めつけは高次元宇宙という概念だ。もしも、高次元宇宙という固定された空間があって、あくまで我々の過ごす世界がその空間から放たれる像だとしたら?流れ過ぎ去ると思っていたものが、永遠にどこかにあるように思えないだろうか?
―いや、だからといって、やはり愛した人は戻らない、触れることはかなわない。美しい惑星ポポラの情景を思い浮かべながら、あくび金魚姫のつもりで、このやるせなさを味わってほしい。オススメ
大樹連司『戯画・セカイ系』
少し特殊である。一言で表現すれば「セカイ系に殴り込む」といったところか。
もしセカイ系についてよく分からないという方がいれば、以下の記事が参考になるだろう。記事を読まずとも、『新世紀エヴァンゲリオン』『イリヤの空、UFOの夏』などをイメージしてもらえれば良い(『イリヤ~』をもし読んでいない方がいれば、傑作なのでこちらもオススメしたいところ)。
私的解釈で述べるとすれば、青少年がふとしたきっかけで世界の命運を左右するような存在になってしまい、葛藤を繰り広げる物語全般の形式のことである。
本作は内容がメタ的なので少々ややこしい。だがそれが面白い、というのが本作の魅力だと思う。冒頭の<セカイ系ライトノベル>がいかにも「セカイ系」といった感じなのである。何だあの中二病大量の漢字とルビは......むずがゆくて少し恥ずかしい気持ちになった。共感性羞恥かな?
徒競走で一番をとれば、世界を手に入れたような幸福を感じていた「あの頃」を思い出す。夢へひた走るか、そろそろ現実的な考えを持たねばならないか、という年頃の20代後半か30代あたりの方が読むと特に刺さるのではないだろうか。読者をノスタルジックな気持ちにさせる(ある意味オトナな)作品である。
簡単に内容について触れると、
この三者の三角関係が描かれる。登場人物のキャラクターを見ただけで、何となく結末が想像できてしまう人もいるかもしれない。「あの頃」と「現実」が殴り合ったその先は......?
小田雅久仁『人生、信号待ち』
ネタバレとは無縁そうな、不思議な作品である。タイトルの通り、人生を賭して信号待ちをする男女を描いた物語になっている。信号待ちというテーマでここまで書けるのかと、率直に思ったのでおススメしたい。
先に紹介した『死んだ恋人からの手紙』『戯画・セカイ系』とはまた少し毛色が変わっていて、概念的な印象を受けた。解釈によって、いろいろな味わい方があるかも。かといって、文体や出てくる言葉が難解であるわけではないので、読みやすい。
私は本作を「ジャネーの法則」の比喩だと解釈している。どうも年を取ると人間はエネルギッシュでなくなり、大抵のことではときめかなくなり、結果的に体感時間も短くなってしまう傾向にあるらしい。
まあその解釈で行くと、運命の人に出会った後は、人生があっという間に過ぎ去ってしまうことになるのだが。果たして。
ここでは紹介しきれなかった短編についても、どれも魅力的な作品ばかりであるので、買って損はないと思う。少なくとも、巻末の伴名練氏によるSF読書指南が非常に有用であるから、私含めSF初心者にはあとがきを読むだけでも価値があるだろう。
5段階評価
★★★★☆ 4 (良き!!)
なぜその本を読み始めたか
SF×恋愛小説を探していて、たまたま本屋で目に入ったから。
「推し」とその理由
あくび金魚姫だろう。
『死んだ恋人からの手紙』が本書の中で一番好きな作品だから、ということもある。手紙を受け取る側の人間であり直接描写されることはないのだが、恋人からの手紙を通じて魅力的なイメージを膨らませることができる。
面白いor参考になる語彙・表現・構成
「あくび金魚姫」という言葉の響きが狂おしいほど好き
読了年月日
2022/7/25
SF×百合の小説は「あら^~」で収まらない
「モニカは、ただ自分の思い出を飲み干したの―自分にとって、なによりも美しい思い出を」
陸秋槎『色のない緑』より
『アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー』SFマガジン編集部,2019,ハヤカワ文庫
を読んだので、それについてつらつらと。
自由感想
本作はタイトルにもあるように「百合」と「SF」というジャンルを織り交ぜた短編集である。
(SFはまあよしとして、)女性同士の友情・恋愛といった関係性を描いた作品ジャンルはしばしば百合と称される。要は(程度の差こそあれ)ガールズラブだと私は解釈しているが、厳密な定義については有識者に譲りたい。私なりのざっくりとした認識である。
小説であれば、吉屋信子『わすれなぐさ』や川端康成『乙女の港』、宮木あや子『あまいゆびさき』等をちょこちょこ読み、アニメでは『citrus』『桜Trick』『推しが武道館いってくれたら死ぬ』等をちょこちょこ観てきた。生殖という合理的な結末・むさ苦しい男という記号を(原則)排除した、という点での清廉さ、無垢な前提条件はカオスな現実社会から隔離された純度100%のフィクションを提供してくれる。百合っていいよね。
そんなジャンルが、いかにも男臭い(と私が錯覚していた)SFと果たして融合しうるのか、融合したとすればどんなに魅力的な作品になるのか、興味が湧いた。
結論、めっちゃ融合してた。読者層としては男性が多いと推察されるSFジャンルだが、男臭いなんてもってのほか。もちろん宇宙とマシンも魅力的だが、それだけじゃないのだと。
後々になって、東京と東京湾が恋愛関係になる小説がSFとして存在すると聞き(藤本泉『十億トンの恋』)、驚嘆すると同時に、さもありなんと納得した。前衛的な空想を作品に昇華しうるSFだからこそ、百合との親和性はかえって高かったのかもしれない。(あくまでフィクションなので、現実問題を引き合いに出すのは気が引けるが)性的マイノリティーやジェンダー平等などの概念を遥かに超えていた。つまりは私のSFに対する理解の甘さを認識した。恐るべしSF
さて、そんなこんなで傑作ぞろいのタイトルと著者の一覧は以下
- 宮澤伊織『キミノスケープ』
- 森田季節『四十九日恋文』
- 今井哲也『ピロウトーク』 ※唯一、漫画作品
- 草野原々『幽世知能』
- 伴名練『彼岸花』
- 南木義隆『月と怪物』
- 櫻木みわ,麦原遼『海の双翼』
- 陸秋槎著,稲村文吾訳『色のない緑』
- 小川一水『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』
このうち、特に印象に残った『四十九日恋文』『彼岸花』『色のない緑』について、それぞれ感想を書く。
森田季節『四十九日恋文』
タイトルの通り四十九日の法要にちなんで、死者の霊が極楽浄土へ行くまでの49日間、携帯端末でメールを送受信できる世界を描いた物語
ただし、このメールでのやり取りには制約があり、残日数分の文字しか送れない。そのような状況下で、かつて恋仲にあった絵梨と栞(故人)の二人はメッセージを送りあう。
意思疎通が死後もできるという便利さとは裏腹に、どうしても物理的・身体的な距離は遠ざかってしまう。送信できる字数も日に日に減っていく環境で、心理的な距離をも否応なしに離されてしまう2人の心情が切ない。
一方で、生前の仲睦まじい様子もメッセージのやり取りから垣間見え、まったりゆっくりと流れる時間を感じられる。このような緩急がありつつ、メールの送信可能文字数に反比例するように読者はクライマックスへ向けて引き込まれていく。最後の2,3ページは、あっという間に読みたくなるだろう。
伴名練『彼岸花』
『なめらかな世界と、その敵』の著者である伴名練氏による百合SF短編である。
これこそ先述した、『わすれなぐさ』や『乙女の港』に代表されるような戦前の女学校を下敷きとした百合小説と言えよう。文体もそれにならって少し古く奥ゆかしいものになっていて、当代語に近いかどうかは(私の知識不足で)分からないが、時代小説に近い異世界を感じさせる。これが本作の魅力の一つである。
特徴的なのは、文体だけでなく舞台そのものが異世界であることだ。登場人物として「死妖」と呼ばれる種族が存在する世界なのである。彼らのモチーフは、いわゆる吸血鬼のそれに近い。血にまつわる架空の道具やインフラは、読者の空想に拍車をかける。
設定が魅力的である上に、ストーリーも負けてはいない。この物語は主人公である舞弓青子が死亡していると示唆される場面から始まる。女学校の生徒である青子と真朱の二人がかつてやりとりしていた交換日記をもとに、物語が進行していく。なぜ青子はこの世にいないのか、「死妖」とは何か、過去から明らかになる真実に心が締め付けられること必至である。
最後の段落の美しさに酔いしれてほしい。
(文章の緻密さは随一だと感じた。『なめらかな~』もぜひ読んでみたい)
陸秋槎著,稲村文吾訳『色のない緑』
言語学や自然言語処理など、言葉に関連する学術分野に手を出したことがある方ならピンとくるかもしれないタイトル、そう、ノーム・チョムスキーによるかの例文である。
Colorless green ideas sleep furiously.
日本語だと「色無き緑の考えが猛然と眠る」とか「無色の緑の考えが猛然と眠る」などと訳されるものだ。この例を引き合いに出して、文法的(統語論的)には正しくとも意味が通じない文があることを彼は示していた。
本作は自然言語処理研究が進み、機械翻訳はもちろんのこと、言葉と映像を双方向的に変換するようなマルチモーダル処理も実用化する近未来を描いている。AIが翻訳した文を「脚色」する職業に就いているジュディ、そして計算言語学者のエマが、かつての友人であり学者であったモニカの自殺の謎を追う物語になっている。
先ほどの『彼岸花』と同様、偶然にも主要キャラクターが死ぬところから物語は始まるが、ファンタジー色はほとんどなく、現実的かつディストピアな雰囲気である。『彼岸花』が仮想の技術をリアリティに富んで描く一方で、『色のない緑』では現実の様々な技術知識が散りばめられている(自然言語処理を扱ったことがあれば、末尾の参考文献にピンとくる方も多いだろう)。
学生時代に自然言語処理を研究していた手前、モチーフが言語学・自然言語処理ともなると贔屓してしまう。だからこそ、このモチーフを比喩としてモニカの死に関連付ける作者の技量に感嘆する。
モニカはなぜ自らの命を絶つ選択をしたのか、切ない余韻の残る結末をぜひ味わってほしい。本記事の冒頭で引用した一文は、私が本書で最も感動した一文である。これ単体でも悲壮感が滲んでいるし、通しで読めば思わずため息がこぼれるだろう。
(また本筋に直接的には関係ないが、本作は(特に若い)研究者の待遇悪化が嘆かれている日本国内の状況を示唆しているようにも思え、興味深い)
アンソロジー編者の意図的なものか、はたまた偶然か、あるいは百合というジャンルがそうさせるのか、全編を通して物静かな印象を受ける作品が多いと感じる。後述する『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』など例外もあるが、アクションでワクワクさせるというより、じりじりと心に訴えかけてくるものがある。
5段階評価
★★★★☆ 4.5
なぜその本を読み始めたか
「百合」というジャンルに一時期傾倒していたこともあり、それとSFとがどのように混じり合うのか非常に気になったため。
「推し」とその理由
キャラクターが非常に尖っていると感じたのは『幽世知能』の灯明アキナ、『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』のテラ、ダイオードあたりか。
なかでも灯明アキナは抜きん出ていた。「自由エネルギー原理」という概念を引き合いに出して、社会生活における避けられない人との交流と、人付き合いが苦手な自身の性格との矛盾に苦しんでいる。唯一の理解者だと信じていた主人公(わたし)の愛情が向く相手への嫉妬に狂い、自傷・他傷行為に走る様子はなかなかの気味悪さである。
面白いor参考になる語彙・表現・構成
- 手紙・メール・交換日記等の媒体を噛ませることで、自然に時系列を演出・操作できること(『四十九日恋文』『彼岸花』)
- 学術用語を良い塩梅で挿入すると、物語にリアリティが増す(『幽世知能』『色のない緑』)
- おっぱい(『ツインスタ―・サイクロン・ランナウェイ』)
読了年月日
2022/07/30
SF読むなら『マルドゥック・スクランブル』は外せないよなあ!?
―抱いて。タイトに。
ぐにゃりとウフコックが変身《ターン》した。オンリーワンの、選び抜かれたドレスへ。
『マルドゥック・スクランブル〔完全版〕』冲方丁,2010,ハヤカワ文庫
自由感想
「自身をモノのように捨てた男に、少女が復讐する話」
一言だと単純に見えてしまうストーリーが、なぜこうも重厚で引き込まれる作品に昇華するのか。魅力の源泉は、キャラクターのイカレ具合と緻密なアクションにあると思う。
例えば、『ドラえもん』をスタイリッシュなサイバーパンクにして、EDのドクターに加えて、フランケンシュタインのような超暴力的な敵キャラも添えたとしたら?想像してみてほしい。
ヒロインのバディであり、本作のドラえもんたるウフコック(猫型ではなく金色のネズミである)を開発した研究者のドンは生首で登場するわ、序盤でヒロインの障壁になる敵キャラはカニバリズムを遥かにしのぐ猟奇的集団だわ、という感じで、とにかく誰もかれもイカレている。
良識の程度の差こそあれ、平穏無事にのびのびと市民生活を送るキャラクターは少なくともここには存在しない。いや、ほとんど良識なんてものは存在していない。
食うか食われるかなのだ。平和主義者が登場するとしても、それは呆れるくらいの金持ちか、植物人間くらいだ。
一癖も二癖もある「濃い」キャラクターが縦横無尽に飛び回るのだから、面白くないわけがないのである。法的に禁止されている超常的な科学技術で死の淵から蘇ったヒロインと、これまた超常的な科学技術で「最強の白兵戦用兵器」として生まれたネズミがタッグを組む。葛藤を抱えながらも成長を続ける二者の姿に、ページをめくる手は止まらないはず。
魅力あるキャラクターが織りなす派手なアクションシーンは無論面白い。加えて、「静的な」アクションであるギャンブルのシーンも、本作の魅力の一つである。文字通り著者が反吐を吐きながら、七転八倒して書き上げたと称するブラックジャックの件は、ルールを詳しく知らずとも手に汗握る洗練ぶりである。博打のルールを頭に入れてから、再度読めばもっと面白くなるに違いない。
総じて、暴力的な描写によほどのアレルギーがなければ、かなりおススメである。少なくともSFが好きなら本作は外せない。
話は少し変わるが、本作は既に2度書き直されており、その最終版である。
- 2003年初版のハヤカワ文庫JA版
- 2010年の改訂新版(ハードカバー)
- 完全版(本作)
著者曰く、「最もやらねばならないことをやる、それだけである」らしい。アニメ映画化や漫画化といったメディアミックスを肯定しつつも、それらに小説で対抗する意思があとがきから感じられる。
上記の三作はストーリーの概要はそのままに、より文体や表現に磨きがかかっていくそうだ。順番としては逆になってしまったが、旧作もぜひ読んでみたい。
さらにさらに、続編も既に刊行されている。こちらも百発百中、外せない。
5段階評価
★★★★★ 5 (好き!!)
なぜその本を読み始めたか
以前から冲方丁氏の代表作の一つとして知っており、書店でたまたま第一巻『The first compression―圧縮』が目に飛び込んできたため。
「推し」とその理由
ルーン=バロット&ウフコック=ペンティーノ
→『マルドゥック・スクランブル』の登場キャラクターが尖っていることは先述した通りである。その中でもやはり、この主人公二人(?)は外せない。
死の淵から蘇り、精神的にも自らを殺していたヒロインのバロットに、委任事件担当官としての職務を超えた歩み寄りをみせるウフコック。彼女の傷を敏感に嗅ぎ取りながら、一方で彼女もウフコックへ心を開いていく。廻る引力と斥力の渦の中で、彼らは一体化していく。澱のように淀んだ環境から這い上がって、傷つき葛藤しながらも生きようと願うその姿は、非常に魅力的である。
この二人組が不器用ながら、気持ちをぶつけ合って成長する様をぜひ見てほしい。
面白いor参考になる語彙・表現・構成
- 英語読みで韻を踏む文体
- ドンパチやるだけがアクションじゃない
- 未成年娼婦であるヒロインの、溌溂さと色気のギャップ
- ウフコックとドクターの軽快なやり取り
枚挙にいとまがない。
読了年月日
2022/07/10