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回るモーターに「頑張れ!」と応援できるか?

I trust your smile. I won't care whether you are soulless or not.

BEATLESS長谷敏司KADOKAWA,2012.』を読んだので、表題についてつらつらと。

 

回るモーターに「頑張れ!」と応援できるか?

この見出しは本文中の描写から拝借した。冒頭の引用文にもあるように、本書の大きなテーマの一つはモノ(記号)に心(意味)はあるのか?というもの。

読了後、私は程度の問題だと考えた。元も子もないが、甲高い音をあげて回る冷却ファンに「頑張れ!」と思わない一方、ステージに上がるアイドルには全力でペンライトを振るのである。(念のため書くが、演者個人が心神喪失しているという話ではない)

 

物語は現在から約100年後の東京を舞台に進む。高校生の主人公、「遠藤アラト」は夜道で高性能アンドロイド「レイシア」に出会う。

チョロい主人公である彼はレイシアの美しさに見惚れる一方で、彼女はシンギュラリティを超えた「人類未到達物」として指示を仰ぐのであった。アラトは束の間の幸せから、人類存続に関わるスケールの事件に巻き込まれていく......

 

と、このような導入から物語は始まる。いわゆる「ボーイミーツガール」に冒頭のテーマを重ね合わせている。本書でのモーターは「レイシア("hiE"と呼ばれるアンドロイド)」であり、意味は「心(愛?)」に近い。アニメーションが数年前に制作されているので、活字が苦手な方はそちらを見ても似たような体験ができるかもしれない。redjuice氏のイラストにアニメーションが追随できていないような気もするが......

beatless-anime.jp

 

本題に戻る。イラストを見て「こんなかわいい娘がいたら、そりゃ嫌いにはならんやろ。むしろ好きが満ち満ちてくるだろ」と思考停止になりかけたので(まさにそれが問題たりうるのだが)、フライパンとかバイクとか、いかにも道具に近いモノで考えてみる。バイク好きな方なら、愛車に「今日も良い調子だな!」とか、「頑張れ!」と声をかけるかもしれない。では、フライパンに「頑張れ!」と言う人はいるだろうか。少なくとも私はいると思わない。

 

なぜ回るモーターに「頑張れ!」と応援できないのか?

モーター然り、フライパン然り、なぜモノを応援できないのか。それは感情移入できるかできないか、できるとすればどの程度か、という程度の問題が根本にあると冒頭で述べた。

感情移入するためには、少なくともモノに「感情」があるように見えなければならない。「感情」があるとは、どういうことか。私は「自身の入力に対して、リアクションがある(と自身が解釈する)こと」が要素の一つになると思う。

例えば、目の前に回り続けるモーターがあるとして、何かアクションを起こそうという気になるだろうか。PCの冷却ファンがうるさいと思うことはあっても、それは筐体を冷やすための機能であって自身へのメッセージだと解釈しない。「ああ、ファンが今日も元気だ。張り切ってるな。でもそんなに急くことはないだろ?」とは思わない。

では、車やバイクはどうだろうか。アクセル(スロットル)を開けば、それに呼応するようにマシンは進む。もちろんこれは一種の機能である。その上で愛車に対して、まるで人間であるかのように愛着を持つのは、コミュニケーションが成立していると暗に解釈するためだ。その文脈で、モーターを搭載している電気自動車も今後語られるかもしれない。

さらに進めて、アイドルはどうだろうか。ファンは推しを金銭面、メッセージ、コール、メール等々、様々な手段で応援する。ファンが呼びかければ、アイドルは返事(レスポンス)をする。そしてファンは、自分へのメッセージだと解釈しエネルギーを貰う。ここにはコミュニケーションが存在すると、双方信じて疑わないだろう。アイドルに「感情」がないとは、夢にも思わない。

 

このように、モノに「頑張れ」と応援するかどうかは、双方向でコミュニケーションが成立している(と解釈)できるかが関わっている。自分のアクションに対して、それに呼応するような、動的なリアクションがあるからこそ「頑張れ!」と言うのである。リアクションがより具体的になればるほど、「感情」があると判断するのではないだろうか。

 

こうしたモノと「感情」の極端な問いかけが『BEATLESS』では行われている。どういうことかというと、「人間の理想とする風貌・能力を兼ね備え、それが人間と遜色なく、むしろそれ以上に振る舞えば、そこに感情はあるといえるのか?」という問いだ。

これまでの例で言うと「うん、そりゃ感情だってあるっしょ」と即答してしまいそうだが、ここまで極端だとそうはいかない。生物界の頂点たる(と暗に自認する)人類にとって、自分以上の存在をそう簡単に認められなくなる。相手が生物ではなく、マシンとはいえ、である。緻密なコミュニケーションが期待できる以上は、線引きを行うことが難しくなる。

 

語られていることはいずれ、机上の空論でもフィクションでもなく起こりうる。そうなった際に、人類は主人公と同様の選択をするのだろうか、はたまた......

 

 

以下蛇足メモ

5段階評価

★★★☆ 3.5 (まま良き)

読了年月日

2022/06/15

 

お堅く捉えると、近い概念は「中国語の部屋」として語られている。

ja.wikipedia.org